400余年の歴史を誇る、奈良最古の御菓子司
天正十三(1585)年、豊臣秀吉の弟・秀長が大和郡山へ入城する際、初代菊屋治兵衛が連れられて大和の地へ入ったのが本家菊屋のおこりです。以来、郡山城下町で伝統の技と味を守り続け、26代目に至る老舗の本店は、江戸末期に建てられたという商家の由緒あるたたずまい。店内には、第二次大戦を潜り抜けたという鉄製の茶釜や、黒く年季の入った木製の菓子型をみることができ、奈良というまちで長年暖簾を掲げ続けてきた歴史の重みが滲みます。
屋号にちなんだ、菊花をかたどった菓子の数々は、伝統の趣のなかに色あせない洗練を感じます。代々の職人が、奇をてらわず、素材を厳選し、味の表現に忠実に向き合ってきた歳月が、シンプルな魅力の礎にあるのです。
秀吉が名付け親 悠久の時を経た味わい
「秀吉公をもてなす茶会のため、何か珍しい菓子を作れ」豊臣秀吉の弟・秀長に、こう命じられた菊屋の祖・治兵衛は、粒あんを餅で包みきな粉をまぶしたお菓子を考案。秀吉はこれをたいそう気に入り、「鶯餅」と命名しました。こうして誕生した餅は、一説によれば、今日全国でつくられる鶯餅の原型となったとも伝えられています。
その後、菊屋が郡山城の門の外に広がる町人街の1軒目にあることから、菊屋の餅は「御城之口餅」と呼ばれて親しまれるようになり、今日に至ります。
昔も今も、変わらず万人に愛されるお餅は、可愛らしいひとくちサイズ。柔らかくとろけるような餅の中に、程よく粒感の残るあんが包まれ、きな粉の香ばしさがやさしい甘さを引き立てています。
餅粉から餅をつくる店も多い中、もち米をついて生地をこしらえるのが菊屋の伝統。丹波大納言の大粒を厳選している小豆をはじめ、吟味された国産素材を使うのもこだわり。シンプルだからこそ、上質な素材の美味しさが存分に味わえます。可愛らしい大きさから、ついつい食べ過ぎてしまいそうな、懐かしく飽きのこない甘味です。
- 本家菊屋の歴史はさかのぼること四百年以上昔。弊店祖 菊屋治兵衛は豊臣秀長公にお連れ頂き、大和の国に参りました。以来、真心をこめて菓子を作り続け、奈良県最古の和菓子屋として今日にいたります。研鑽と挑戦を重ね、伝統に安住することなく、これからもお客様の声に応えて参ります。
(本家菊屋 二十六代目当主)
菊屋初代が豊臣秀吉のために考案し「鶯餅」の御名を賜ってから400余年。今も昔も万人に愛される、一口サイズのやわらかなお餅です。丹波大納言をはじめ、吟味された国産素材の風味がいきたシンプルな美味しさ。