名古屋の菓子文化を牽引する老舗
美濃忠の歴史は古く、そのルーツは、初代尾張藩主・徳川義直公が名古屋城入府の際に駿河の国より同道し、尾張藩御用の菓子屋をつとめた桔梗屋に遡ります。
この桔梗屋に長年奉公をしてきた伊藤忠兵衛が、安政元年(1854年)に暖簾分けされ、名古屋城下和泉町五条橋坂(現在の丸の内)に店を構えたのが、美濃忠のはじまり。以来、明治時代には帝国菓子飴大品評会や京都記念博覧会など多くの品評会に積極的に出品し、また茶人との交流の中で、名古屋のお茶文化の隆盛・定着とともに様々な流派からの用命を得るにいたるなど、菓子作りの技と味を世に広めてきました。
昭和の時代に入り、百貨店の興りとともに出店を増やしたことで、老若男女に親しまれる存在となった美濃忠。今日も名古屋の地に根ざした商品や味わいを提案し、地元を代表する御菓子司として愛され続けています。愛知県外にほとんど店舗がないため、名古屋土産として指名買いする県外のファンも多いのだとか。
みずみずしくとろける伝統の羊羹
安政元年の創業以来受け継がれてきた、伝統銘菓の蒸し羊羹。“上り(あがり)”とは献上菓子の意で、尾張徳川家に献上する羊羹ということからその名がつけられたと言われています。
羊羹といえば、寒天をつかったゼリーに似た質感のものが一般的ですが、こちらの原材料は砂糖、小豆、小麦粉のみ。今にも崩れそうな柔らかさで、切り分けるのに少々緊張するほど。口に入れると、ねっとりと濃厚な第一印象が一転、ふわりと軽やかにとろけます。この類まれな食感は、日々原料の状態を確認し、気を配りながら蒸し上げる職人の手業と、伝統の製法の賜物。気温が上昇する夏季には生産ができないという繊細なお菓子は、これを目当てに遠方から足を運ぶ顧客も多い、美濃忠にしかないひと棹です。
- 国際化が進む今日、若者の日本文化への興味が薄れてきているように感じます。お茶や和菓子といった、日本文化と密接なかかわりを持つ業界は衰退の危機に瀕しています。しかし、決して先人達が作り上げてきた日本の文化をなかったことにして良い訳ではありません。
私どもには、素晴らしい日本固有の文化を守り、後世に伝えていくという使命があります。そのためには「作り出すお菓子が美味しいものであること」、そのお菓子で「一人でも多くのお客様に笑顔になっていただくこと」が最も重要だと考えております。「美味しい・楽しい・嬉しい日本文化」を守り、創造し、伝えていく。そのために私どもは、これからも美味しいお菓子で笑顔を作り続けて参ります。
(株式会社美濃忠 6代目当主 伊藤好子)
安政元年の創業以来受け継がれてきた、伝統の蒸し羊羹。口中でふわりと軽やかにとろけます。気温の高い時期には製造できないほどの繊細な質感は、他と一線を画す仕上がり。根強いファンの多い代表銘菓です。