なごや匠マルシェ なごや匠マルシェ

なごや匠マルシェとは

「尾張徳川文化」という言葉をご存知でしょうか?

江戸の泰平の時代、名古屋市を中心とする愛知県西側のエリアを治めていたのは“尾張藩”。
徳川御三家の筆頭です。徳川の治世のもとで築かれた名古屋城とその城下町。
まちが形づくられ成熟していく過程で、卓越した技能を有する職人や伝統文化の名手たちが名古屋に根付いていったといいます。
さらに、名古屋近辺だけでなく、飛び領地であった木曽・裏木曽地域からは、木曽川の流れをつたい良質な木材がもたらされました。
秀でた人やものがまちの礎となり、数々の工芸や文化を生み出してきたのです。

そうして江戸時代の尾張藩(名古屋)で花ひらいた「尾張徳川文化」は今へと受け継がれています。
「なごや匠マルシェ」では、そんな伝統を手に宿した匠たちの技による選りすぐりの品々をご紹介。
数百年の時をこえる逸品に触れてください。

クラフトマンシップ

CRAFTSMANSHIP CRAFTSMANSHIP

江戸時代、名古屋城や城下町がつくられるなかで、たくさんの職人たちが腕を振るったといいます。
その技術力の高さ、完成されたものの美しさは、
当時の姿そのままに復元された今の名古屋城本丸御殿でも垣間見えるでしょう。
木工では良質な木曽ひのきを用い、技術も素材も一級品でした。
江戸中期には、尾張藩7代藩主・宗春が、8代将軍・吉宗の「享保の改革」の質素倹約路線に逆行する、
経済活性化政策で名古屋の文化の発展に寄与しました。
この時期にも、江戸や京都の工芸士、文化人たちが名古屋へと移住し、文化振興の一翼を担います。
全国的にみても独自の進化を遂げてきた尾張徳川文化。
江戸から続くものづくりの妙技をご紹介します。

有松・鳴海絞

美しい色合いと模様に染め上げられた手拭や浴衣。昔ながらの景観を残す有松のまちで「有松鳴海絞」がつくり続けられています。

有松鳴海絞の誕生は、江戸時代のはじめ慶長13年(1608年)のこと。竹田庄九郎らによって絞りの技術が編み出され、尾張藩の特産品として認められました。有松を訪れた旅人たちがお土産にと絞りを買い求めるのは今も昔も同じ。東海道一の名産品となり、有松のまちが栄えた様子は葛飾北斎や歌川広重の浮世絵にも描かれました。

有松・鳴海絞

名古屋黒紋付染

伝統的な礼装である「黒紋付」。着物や羽織に家紋を刻む文化は江戸の世で醸成されました。

名古屋の黒紋付染は、慶長15年(1610年)、尾張藩士小坂井家による旗やのぼりの製造から始まったとされます。江戸後期には、黒紋付染師・文助によって「紋型紙板締め技法」が編み出され、その技は「紋当金網付け技法」となって継承されてきました。「名古屋黒紋付染」独自の技法。江戸時代も日本を代表するまちとして繁栄した名古屋。暮らしにおける“衣”の部分を支えた技をご覧ください。

名古屋黒紋付染

尾張仏具

細やかな装飾が施された尾張仏具も名古屋を代表する伝統工芸のひとつ。その源流は江戸初期にあるといわれます。良質な木曽ひのきを用いた木製漆塗り仏具が中心で、実に多種多様な品々を製造してきました。彫刻、漆塗り、錺金具、蒔絵など、分業制によって細分化された高度な専門技術の結晶です。各宗派や、寺院用・在家用仏具への対応も可能。仏具だけでなく、神事や節句行事で用いる三方で培われた木の加工技術など、様々な技術が継承されています。

  • 尾張仏具
  • 尾張仏具

つげ櫛

髪を傷めず、毛根に心地よい刺激を与えて頭の熱を冷やす。抗菌や抗炎症作用がある本つげ櫛は、大相撲、伝統芸能、芝居などさまざまな場面で重宝されてきました。木のもつ特性を生かすために、年単位で陰干しや燻乾燥を繰り返してつくられる丈夫な櫛板。櫛の歯は一本一本丁寧に匠の手で磨き上げられていきます。伝統的な作り方ゆえのつげ櫛の使い心地の良さを体感してください。

つげ櫛

紙加工

室町時代に生まれたとされる豊田市小原地域の「小原和紙」。江戸時代には地域内の各地で紙漉きが営まれていました。紙漉きの仕事が脈々と継承される一方、昭和初期の工芸家・藤井達吉との出会いから小原和紙は変貌を遂げます。和紙を植物や鉱物で染め上げる。染色したコウゾを使い模様を漉き込む。世界唯一の美術工芸紙です。そんな小原和紙を活用したペーパーアクセサリーも生み出されています。

紙加工

aichi

(内容器なし)
¥10,500

aichi

(内容器付き)
¥14,000

aichi

¥1,600

aichi

¥1,600

aichi

¥1,870

aichi

¥1,870

aichi

¥2,800

aichi

(エビフライ)
¥7,700

aichi

¥11,000

aichi

¥11,000

ヘルシー

HEALTHY HEALTHY

文化には、伝統工芸や伝統芸能などみなさんのイメージするものばかりでなく“健康”にまつわるものもあります。
薬草の効能などについての理解を深める学問「尾張本草学」が探究されました。
名古屋城西側にあった「御深井御薬園」では、4代将軍・家綱から与えられた植物や薬草が育てられ、
7代藩主・宗春の頃からは、今の東区葵町あたりで朝鮮人参の栽培が行われていました。
江戸時代の人たちの健やかな暮らしに貢献した薬草に関する知識と、そこから生まれた数々の健康の知恵もまた、
現代へと受け継がれています。

尾張本草学

和薬・漢方の本草閣は、天保元年(1830年)に創業した、尾張本草学が華やいだ時代より伝統と伝承を今に伝える名古屋の老舗。漢方専門の相談薬局です。名古屋市の認定地域建造物資産である風情豊かな木造二階建ての建物は、生薬香る穏やかな空間が広がり、奥に進めば生薬を保管する使い込まれた百味箪笥が迎えてくれます。人々の健康の今と昔とその先を、本草閣のプロダクトからのぞいてみてはいかがでしょう。

尾張本草学

サスティナブル

SUSTAINABLE SUSTAINABLE

名古屋城や城下町を形づくった“木”が、どこからやってきたか考えたことがあるでしょうか。
まちをつくるのに必要だった膨大な木材は、今の岐阜県と長野県にまたがる、“木曽・裏木曽”と呼ばれる地域からもたらされたもの。
寒冷な木曽・裏木曽の山で数百年をかけて育まれた木々は、江戸よりも以前から良質な木材として日本全国から求められてきました。
江戸時代には、築城ラッシュによる需要を受けて、木材が枯渇の危機に直面したことも。
飛び領地としてこの地を治めた尾張藩は、自然の恵みを未来へとつなぐために伐木の管理も行ってきました。
名古屋のまちづくり、ものづくりには不可欠な存在であって木曽・裏木曽の森林資源。
木を守ってきた人たちによって伝統は支えられているのです。

木曽ひのき

岐阜県中津川市の加子母は、「裏木曽」と呼ばれる地域の一部。木曽ひのきをはじめとする良質な木材がここから送り出されてきました。江戸時代には尾張藩に管理され、現在は国有林となっている森もあります。樹齢数百年の木が切り出されるのは、伊勢神宮の式年遷宮など特別な時だけ。名古屋城本丸御殿の復元にも、加子母のひのきが使われています。山や森を守るとともに、林業や森林資源活用のこれからを考えていくことも大切です。長い時間が必要な山づくりと向き合う人たちの思いにも、ぜひ触れてください。

木曽ひのき