

飛騨高山で江戸末期から続いている渋草焼
渋草焼とは、飛騨高山で江戸末期から続いている手作り、手描きの焼き物で、しっかりとした厚みのある存在感と、透明感のある磁器に藍色を代表色とした絵付けが特徴です。
芳国舎の創業は1841年(天保12年)。当時の飛騨高山は江戸幕府の直轄地(天領)でした。
その時の高山陣屋飛騨群代「豊田藤之進」が、地元に新たな産業の発展を目指し、陶磁器の生産を御用商人にさせ、現在の陶房所在地である「渋草」という地名の場所で、飛騨から出る陶石を原料に半官半民の陶磁器製造所を開窯させたのが始まりです。
芳国舎で製作される作品は、代々職人の技として引き継がれ、作家名ではなく、「芳国社(舎)」としてパリ万国博覧会銅賞、日英博覧会銅賞、をはじめ各国の万国博、国内共進会に出品し、数多くの功績を残しています。
渋草焼は、素焼きをしたものに下絵を描いた後、釉薬を塗って約1300℃で丸一日、本焼きします。完成までには17〜18%も縮むため、職人は完成時の大きさを見越して器の大きさや絵の大きさを考えなければなりませんし、焼きも気温や湿度に左右されるため、窯の前で1日中つきっきりで火の調整を行うなど、非常に技術を要します。
こうした苦労の結果、美しい透明感と存在感のある焼き物に仕上がります。

芳国舎の看板作品の1つ「内外菊茶呑茶碗」
この内外菊茶呑茶碗は、芳国舎が特別なこだわりを持って製作している看板商品の1つです。
外側だけでなく、内側にも絵を描くため、外側と内側の模様の位置をできる限り合わせて、透光性のある磁器の特徴を生かしつつ、白い部分はより白く、藍の部分はより青く鮮やかになるよう努力するなど、非常に多くの手間と技術を要しています。
その結果、ランプシェードの様に透かした時、内側の模様が邪魔せずに外側の模様がくっきり浮き出されます。
このように職人がこだわり抜いて製作しているため、この商品は1日に2個程度しか描くことができません。
価格に見合う職人の技術と想いがたくさんこもっている作品の1つと言えます。
是非、実物をお手にとってみて、渋草焼職人の想いを感じてみてください。
- 渋草焼は、手作り・手描きであり、非常に技術と根気が必要な仕事です。焼き工程も、素焼き・本焼き・上絵焼成の3回。本焼きでは約22時間、窯の前でつきっきりになるなど、大変な手間と集中力、体力が必要な厳しい仕事です。
それでも、渋草焼が評価してもらえる間は、良いものを作ってその信頼に応えていかないといけないという使命感を持って、この伝統技術を守っています。
焼き物は使っていただくことで、初めて生きてくるものと考えています。
飛騨高山で続く渋草焼の存在感、質感を是非、実感してください。
(株式会社芳国舎渋草製陶所 代表取締役 松山 正和)
飛騨高山で江戸末期から続く手作り、手描きの焼き物「渋草焼」。堅牢で透明感のある本格的な渋草焼。芳国舎の看板作品の1つ「内外菊茶呑茶碗」。職人のこだわりが感じられます。